みなさんにとって、あの日はどんな一日だったでしょうか?
どんよりとした寒空のあの日の記憶が、どんどん遠ざかっていく気がしております。
OSSANはその当時、会社に命ぜられるままドアtoドアで3時間はかかる街へ通っておりましたな。
面白くもなく興味もない仕事に、方々でパワハラを繰り返すとんでもない上司(今だったらケチョンケチョンにしますが・・・)。
夢も希望もナニもかも、ナイナイづくしで通勤だけでヘトヘトになる毎日。
会社が買収されるという事の現実を、嫌というほど味わっている最中のことでありました。
そんな日々を送るうち、あの瞬間が来ました。
揺れが収まり、休憩していたバックヤードから飛び出してみると、職場であるショッピングモールの吹き抜けにはガラスの破片が散乱し、それはひどい有様でありましたな。
ほどなく小雪のちらつく屋外へ退去となり、情報の入ってこないまま相当の時間を過ごしました。
電車は止まっておりましたが、何としても娘を保育園へ迎えに行く必要がありました。
携帯電話のバッテリー残量を気にしつつ、あちこちへ連絡を試みました。
通話も切れ切れの状況で、保育園は無事なこと、細君もやはり身動きが取れない事、どうやら頼れるのは辛うじて徒歩圏内(マァ、一時間あまりはかかる)に居住する親父殿だけらしい事がわかりましたな。
「全員がおうちに帰れるまで、私達(保育園の先生方)が全力で子ども達を守ります。安心して迎えに来てください。」
この言葉にどれほど安堵し、心強かったことでしょうか!
親父殿に娘を迎えに行ってもらい、我が家で待ってもらうことにしました。
職場近辺に住む部下に車を借りて帰路につきましたが、信号機はまったく動いておらず道路は大渋滞で遅々として進みません。
日が暮れると辺りは自動車のライトのみが光源の、真っ暗闇でありましたな。
その中を、履いていた靴の代わりにビニール袋を履いた(革靴やパンプスでは長距離を歩けないため)人々が、疲労困憊の表情で延々と列をなしていました。
ラジオからは東北沿岸地域の火災の様子や、津波の被害が甚大であることが連呼されておりました。そして原発事故の事も。
16時頃に出発して、家に帰りついたのは深夜3時前でありましたな。
娘は何事もなかったように、スヤスヤと寝入っておりました。
どうやらこれは、とんでもなく大変なことになってしまったのである。
そう実感できたのは、翌日TVのニュースを見られるようになってからでありました。
そして翌昼頃になって、行きがかり上、上司となっていた人物の一人から電話があり、「え、(職場に)いないの??」と言われましたっけ。
残務整理を終えた後、すぐに辞めさせて頂きましたな。
ここまでは当時の思い出であります。
その後も紆余曲折あり、現在の職場に落ち着いて少しだけ気持ちの余裕を持てるようになりました。
フライ・フィッシングを始めて、自転車趣味も復活させましたな。
ある程度の距離が走れるようになったら、必ず出場すると決めていたライド・イベントがこの
なのでありました。
2013年からYAHOO及び河北新報社が主催となり、様々な企業の協賛と多くのボランティアスタッフによって開催されている、今年で7年目のロングライド・イベントです。
さっき知りましたが、今年は3700人以上が出走したとのことであります。アルプス安曇野センチュリーライドは2500人でしたから、更に規模の大きなイベントですな。
なんでこのライド・イベントへの出場が目標だったのか。
シンプルに言うと
みんなが大変なときに、自分の人生に必死で何もできなかったから
と言うことがひとつ。
もう一つは、このヨタヨタ・ブログを読み続けてくださっている奇特な皆様はお気づきのように
何故かワタクシは東北を愛してしまっているから
であります。
さて・・・
とは言っても、お盆休みを目一杯楽しんでしまった身(事務職では唯一と言うブラックっぷりw)としては、ここで更に有給含む連休を申請する勇気はありませんでしたなw
仕方ないので夜勤明けの荷造り、出発と相成りました。
時間が読めなかったので指定席予約をしなかったら、見事に福島まで立ちっぱなしでしたな;;
やっとのことで宿へ着き、「前日にこんなにヘトヘトになって大丈夫なんであろうか・・・?」と不安になりました。
しかし歩き回った末にさがし当てた気仙沼の赤ちょうちんで、美味いものとビールをしこたま注入したらすっかり上機嫌となりましたな。
この大会では、210㌔という恐ろしい距離を走りきってしまう猛者も沢山いらっしゃいますが、そんな距離を走ったことのないワタクシはおとなしく100㌔のコース。
気仙沼・ワンウェイフォンドというコースにエントリーしておりましたな。
400名程が気仙沼港でスタートを待つ間、黙祷を捧げます。
昨日夕方の雨はすっかりやんで、不思議に思える程に静かな港の風景が、夏の終りの清潔な朝日にくまなく照らされていきます。
気温の急上昇とともに、昨日摂取しすぎたビールが早くも全身から吹き出してきます。
滴るほどの汗をかいているのはOSSANだけなのですが、この新陳代謝の良さが体重の減少につながらないのが昨今の悩みであります。
6:30スタートとのことでしたが、20名ほどづつのグループスタートとなり、結局走り出したのは7:00を過ぎてからでありましたな。
ようやくスタートできた瞬間には思わず涙が出そうになりました。
「やっと来れたんだなぁ・・・」
このライド・イベントへ参加することで、何ごとかを強力にバックアップできるのだ等とは毛頭思っておりません。
エントリーフィーの何割が復興支援に充てられるのかも知りません。
しかしこれまで、自身があの震災復興支援の為に何もアクションをとっていない・・・ということも事実なのでありました。
スタートで同グループとなった20名程と車列を組んでいきますが、先頭を牽いていた方々が仲間を待つため停車。
代わって先頭になった方は道順に不安があったのか同じく後方に下がり、とうとう先頭になってしまいましたな。
ワタクシもコースプロフィールは眺めておりましたが、道順まで頭に入っているわけではありません。
考えていたのは上り坂での体力配分のみなのであります。
まぁ、曲がるべき所では案内の人が教えてくれるでしょうw
という、今思えば何とも他力本願的楽観主義のもと、自分の気持ちのいいペースで引き続けます。
こうなってしまうと普段からソロライドばかりなのもあって、周囲のことは気にならなくなってしまいますな。
透明感のある景色を目に焼き付けながら足を回すのみであります。
もし道を間違えてしまったら、ついてきてしまった人には
ドーモスンマセンww
と言えば済むことであります。
そんなことを考えつつ、フト後ろを振り向くと誰も居ませんでしたな・・・やはりOSSANはボッチが似合います。
元気なうち、あるいは山が始まってしまうまでに少しでも距離と時間を稼いでおきたい・・・と言う思いもあり、気にせずどんどん飛ばしました。
あっという間に波路上・伝承館ASに到着。
震災遺構である旧気仙沼向洋高校の様子を見て、「ああ、やっぱりこういう事だったのだな・・・」と肌が粟立ちました。
この校舎に限らず、様々な建物の被害の様子を幾度もニュースやドキュメンタリー番組で目にしていた筈であります。
しかしイザ現場へ立ってみると、剥がれた外壁や鉄骨も剥き出しな様子に、有無を言わせぬ圧力のようなものを感じます。
構造物の陰という陰とその空隙には、虚ろな静寂が滲み込みつつあるように見えます。
やはり、数年と言う時は過ぎているのでありますな。
背後にサポーターさん達の明るい声援が飛び交っている中で、とうとう「その場」に立っていることを実感しました。
建物をめぐる金網のフェンスに、無造作と言える様子で当時の写真が掲示されています。
その前で語り部と呼ばれるオッチャンたちが当時の説明をしてくれますが、形容し難いものが喉元までせり上がってきました。
どうにも呼吸が苦しく視野も狭まり、このエイドを満たしているはずの音という音が遠ざかっていくのを感じました。
不自然に思われないよう気をつけつつ説明を聞くグループから抜け出し、アラフィフのOSSANは広場の端っこへと逃げだしました。
沢山の写真の前で、その説明までは自身に必要ありませんでした。
配られたイチゴとベリーの甘いシャーベットで、次々とこみ上げてくるものを必死に飲み下しましたな。
スタッフの可愛いオネーちゃん達の屈託ない声援を後に、逃れるように走り出します。
この”気仙沼ワンウェイフォンド”は、気仙沼〜石巻まで美しい海岸線とエイドでの美味いものを堪能しながら走る、お気軽気分なコースです。
嘘ですwww
100㌔のうち、平坦区間は後半の約20〜30㌔のみ。あとは全部山間のアップダウンばかりでしたな;;
ある程度自転車を乗り込んでいる人や、若さ漲る方々にはどうってことない距離とコースでありましょう。
しかしその両方でもなく、普段は圧倒的にフラットコースしか練習していないOSSANには、その波状的に現れるキツイ登り(場所によって12%超えてた;;)は
ゴメンナサイもう勘弁してください・・・
と言いながらひたすら耐えるのみの厳しさでありました。
考えてみれば、ほとんど三陸の海岸沿いを走るのですから当たり前なのでありますな。
さすがに各エイドステーションでの足切り時間を気にしなければならない距離ではありませんでしたが・・・。
コースプロフィールを見ていて、「ああ・・・どう考えてもワシには試練となるのだなぁ・・・」と覚悟はしておりましたが、やはりキツかった!
ですが、この日のために約一年半。
寒風に涙と鼻水を滴らせ、身の危険を感じる炎天で汗を絞られ、なんだかもういろんなものを垂れ流しにしつつ、まさに
人間脱水機と化して戦い続けてきた
のであります!
どんなに坂がキツくても、沿道から現在進行形で頑張っている人々の声援を受けてしまっては、
「いやぁ、ドーモドーモ^^;」
などと言って自転車を押し歩きすることなど、許されない気がするのであります!
と同時に、可愛いオネーチャン達(年齢幅あり)に手渡される補給食を残すことは、決して許されないのであります!!
そのような暑苦しくも独りよがりなエネルギーを何とかゴールまで維持するべく、できるだけ視線を落とし気味に進みます。
延々と続く上り坂を見てしまうと、心が折れてしまうからでありますナ。
全身から噴き出す汗にひたすら耐えます。
「無い」と分かっていても、28tより軽いギアを何度も右指が探してしまいます・・・
時折訪れる爽快なダウンヒルは、前面投影面積を減らすために上半身を縮こまらせ、できる限りスピードを落とさずに足を休ませる作戦であります。
気分は(漕がない)クリストファー・フルームなのであります。
午後遅くには天候が崩れ雨となる予報だったと記憶しておりますが、そんな様子はまったくなく、ドピーカンの晴天でありましたな。
ヒルクライムに差し掛かりスピードが落ちるたび、自転車のボトムブラケット辺りにも信じられない勢いで汗が流れ落ちます。
当然塩分濃度が高いわけで、メカに悪影響が出ないよう「帰ったら早めにメンテしなきゃなぁ・・・」等と考えつつ黙々とクランクを回します。
サイクルコンピュータに残る平均気温データは30℃でありました。
おそらくコース中で一番の勾配を、今にも止まりそうな速度で悶絶している最中、
「これが最後ですよ。あとは平坦になりますから頑張って!」
と、サポートライダーの方が爽やかに追い抜いていきましたな。
・・あぁ・・
へいたん・・・!!
なんという甘美で懐かしく、心穏やかになる言葉でありましょうか!
人生において平坦ばかりでは何ともツマラナイ結果しか待っていないのでありましょうが、ことロングライドにおいては「平坦」、いっそのこと「下り坂ばかり」のコースが良い!
素晴らしい絶景を拝めるのだとしても、その最高標高地点まではロープウェイやゴンドラに自転車ごと乗り込んで登ってしまい、美味しいところだけ堪能するコースを走りたい!
帰路や翌日の身体の痛みや差し引き消費カロリー、クレジットカードの引き落とし日や翌日の会社のデスク上・・・
そんな事柄を一切考えなくて良い極上のロングライドがしたい!
当然その中にあって無風、もしくは追い風ばかりのライドが至高・・・!
リミット心拍数までもう少しという状況で、現実逃避が止まりません。
サポートライダーさんの言葉は本当でありましたな。
「もうこれ以上は・・・!!」と汗がしみる目を上げてみると、勾配のピークが数十メートル先に見えてきました。
ギアをあげ、ダンシングに切り替えて使う筋肉を切り替えます。
ここまで結構な数の歩いている方々を見ておりましたが、どうやらOSSANは自身に打ち勝つ事ができたのでありますな。
その後は少々膝に痛みを感じつつも、なんとか無事にゴールすることができました。
たまには人を信じてみるのも良いのかも知れない・・・等と考えてしまったワタクシであります。
しかし。
ヒルクライムの辛さとダウンヒルの爽快さ。川沿いの道の穏やかさや美しい海の景色。
信号待ち中にバアちゃんと交わした会話や沿道の応援の嬉しさ。通過してきたASの美味しい補給食やボランティア・スタッフさんたちのエネルギー・・・
OSSANはこのツールド・東北というライドイベントに参加することで、何らか応援できることが無いかと考えてやって来たのであります。
前夜に真っ暗な港町を彷徨い、「コレじゃお金を落としたくても、その場所がないじゃないか!」等と思ってしまってもいたのであります。
それは随分と上から目線というものですな。
しかし実際に来て走ってみればどうでしょう?
声援に力づけられる事はあっても、自身は一度もそのような言葉を発していないのでありますな。
悲愴な表情を浮かべた人は誰一人見かけませんでしたな。
数年が経過したとはいえ、生活の大変なことはそれほど変わっていないのかも知れません。
しかし全国から集まった数千人のライダーに対し、老若男女惜しみない声援を送り、サポートしてくれるのでありますよ。
誇らしい東北は、そんなに小さくも弱くもないのでありますな。
OSSANのほうが余程ヒドイ表情で日常を送っていると思います。
だから。
また来年もそのパワーを分けてもらいに、走りに(もしくは釣りに)行こうと、強く決意しているのであります。
できれば日程に余裕を持ち、前日のビールはホドホドに抑えておこうか・・・と考えておるところなのでありますな。